「vagrants」おぼえがき


幼い頃から、
自分のことを、どこにも所属しない、
誰からも注意を向けられない
風に吹き飛ばされる塵のような
存在だと感じていました。

やがて余計なことばかり考える年頃になると、
世の中のどこかしらに自分の定位置を見出し、
なにがしかの肩書きを持つ、ということに対して、
どうにも気が進まない、というだけの理由で、
努めて「何者にもならない」ことを望みました。

思うままに歳を重ね、
小理屈を捏ねるのも面倒くさくなり、
ついでにこの浮き足立った状態を上手く説明する、
ポジティブな口実も浮かばないまま、
ただただ自分の人生をぬるく、ゆるく引き延ばし、
他人事のように眺めて過ごす日々です。

何者にもならなければ、やがてぼくは、
vagrant/浮浪者/放浪者/宿無し/ルンペン
…といった存在に近づいて行くのかもしれない、
という予感を、幼い頃から持っていました。
幸い、ぼくの路上生活はまだ始まっていませんが、
明日はどうなるのやら、まったく分かりません。

ふと思い立って古いノートを開くと、
モラトリアム期に描き殴った、
懐かしき vagrants 達の姿がありました。
半ばおびえ、
半ば待ち望むように巡らせた、
まるで現実感のない空想の産物を、
ぼくは一方で恥じ、他者の目から隠そうとしながら、
一方で楽しみ、少しづつ伸び広がる地図の細部に
心をときめかせたことを思い出します。

描いた傍から忘却し、散逸していた、
彼らの幾多の放浪の跡を辿ってみると、
旧友の知られざる半生に触れるような驚きを覚えます。

ぼくは空見市のことも、彼らのことも、
それなりに知っているようなつもりになっていたけれど、
実際にその架空の場所をさすらっていたのは、
ぼくの知らない彼らであって、
ぼくはただ、自力では地図すら見付けられない町を、
彼らの目を通して眺めていただけだったのだ、
そして、今も眺めることしかできないのだと、
もどかしく、むずがゆい思いを噛みしめます。

きっと、現実の vagrants は、
断じてここに描かれたような、
気ままで浮世離れした者たちではないでしょう。
ぼくがこれから突入するやも知れない
現実の社会の底辺というのは、
今もって上手く想像できませんが、
…きっともっとえげつなく、生々しく、容赦なく、
絶望と苦渋と屈辱と異臭に満ちていて、
貧しい者、弱い者が足で踏みにじられ、
あるいは互いに踏みにじり合い、
這い上がる体力も気力も萎え果てるような…
そういう世界なのだろうと思います。

現実はさておき、
今は空想の断片から vagrants の記憶を
拾い集める作業に取りかかるとしましょう。

恥ずべきことのように感じ、
この空想からは何年も距離を置いていたものの、
何者でもない何かで居続ける自分は、
この嘘っぽい世界を置き去りにせず、
誠実に探索を続けるべきだと思い直しつつ。
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